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写真は『タイムカプセル』。




「最高の写真とは、何ですか?」


「そりゃぁ、家族の写真でしょう。」



たまに尋ねられるこの質問に対する答えが、もはや決まり文句になっている。

質問者からすれば、僕が出会った最高の瞬間やミリオンダラーで取引されている著名作家の写真作品のことを期待していただろうから拍子抜けするのは仕方がないものの、事実である。


先日、改めてそのことを認識させられた作品に出会った。

それは大阪芸術大学にて催されている卒業制作展、通信教育部写真学科の学長賞受賞作である『タイムカプセル』(上田 真樹) だ。この作品では、作者の上田さんはじめとする三姉妹の幼少時の姿と、その同じ場所にてほぼ同じ出で立ちの今の姿が一つのフレームに収まっている。一見、面白いことやっているとか、イタいことしている(作者本人曰く撮影中は周りからイタい目で見られてキツかったとか)と思われてしまうかもしれないが、ここには大事なメッセージが隠されているように感じた。 それは、


今私たちが普段撮っている家族の写真を20年後に呼び起こすことができるのか。


おそらくスマホを持っている多くの人は、普段何気ない家族の姿をスマホカメラで撮影しているだろうが、撮っただけで何もしていない恐れがある。だから例えば今から20年後に、自分の子供が自身の結婚式で生い立ちムービーを作るから写真出して、と言われても出せない(消失、行方不明、色々)事態があちこちで発生して、ある時代にだけ、多くの家族で写真が存在していないという社会問題が発生しているのではないか。そんなことを僕は恐れているのである。


ではどうしたらいいか。

アナログな答えだが、プリントするしかないと思っている。さらに、よくある薄いセロハンで被せ密着させるアルバムに挟み込むというものだ。実際に前述の作品もそのような状態で保存されていたため良好な状態だった。

データというものは一見便利そうだが、非常にデリケートで気難しい。僕でも過去に消失させて救出できていないものもある。様々なバックアップなどリスクマネージメント方法はあるけれども、それをスマホを持っている一人ひとりに実践してもらうことは酷だ。クラウド系も便利だけどアクセスできなくなるリスクがあるなど完璧ではない。もちろんプリントだって完璧ではないけれども。しかし双方大きな違いはある。それは、


手に取れるか、取れないかだ。


写真を手に取れるというのは非常に大きい。その一枚の存在を認識できるだけで価値が生まれるし、その分大切にできる。家族にとっても、誰でもいつでもアルバムのページをめくって眺めて共有できるというのは絆を深めるキッカケにもなる。スマホでは、まず子供が勝手にアクセスするなんて多くはあり得ないし、写真がどんどん増えて存在が曖昧になる。耐久性で言えばプリントした写真(銀塩)は、水にも強いのでコップの水でも耐えられる。かの大震災では被災した写真がそれぞれの家庭へ帰っていったことをご存知の方も多いだろう。データであればショートしたりもするし、CD-Rなど光学ディスクもレーベルに傷が入れば全滅だ。だから一年に一度は、何枚かでも家族の写真はプリントした方が安全と言うわけである。


ライカがスマホを出すとか、写真家からすれば便利で面白い時代になったと思う。

けれど家族写真に関して言えば、つい20年前までのように「同時プリント」しか手段がなかった時代の方が良かったかもしれない。強制的にプリントされ、収納する場所がアルバムしかなかったからだ。

僕がプリントしましょうよ、って言ったところで、1シチュエーションで何枚も撮影し、それが一年間となるとビックリする枚数になるのだから、そこからプリントするものを選ぶというのは非常に億劫なのが現実である。こんなことを言う自分がそうだからだ。



20年後に、大人に成長した子供たちに「なんで僕(私)の小さい頃の写真が一枚もないの」なんて言われないように是非プリントを。

写真はかけがえのない家族の『タイムカプセル』なのだから。





大阪芸術大学卒業制作展2022

〜2月20日(日)11:00〜17:00

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